−3− −4− そして全てを台無しにするおまけがこんな所にあったり…
遠野の屋敷へと繋がる坂道。
冬の短い日も沈んだ薄暗がりの中を、金髪の抜きん出た美貌の女性と、黒髪に眼鏡をかけた柔らかい雰囲気の青年が連れ立って歩いていた。アルクェイド・ブリュンスタッドと遠野志貴である。
話題の映画を見た帰りと言う、結婚の決まった男女としてはひどく慎ましげなデートの帰りであったが、予想以上の迫力に大興奮したアルクェイドにとっては、そんな事はどうでも良かったらしい。見終わった後の食事の時も、帰る道すがらも、表情をくるくると変えながら映画の興奮を伝えてくる、そんな彼女の姿を見ているだけで、志貴の気持ちも満たされていた。
今までこの道を二人で帰ってくることはなかった。屋敷から二人で出る事はあっても、帰ってくる時はいつも志貴一人であった。二人でいる時間が楽しければ楽しいほど、一人でこの坂道を登る寂寥感は身に染みていたが、もうこれからはそんな思いをする必要はない。嵐のように過ぎさって、命の危険すら何度も感じたこの二ヶ月間であったが、この満足感をもたらしてくれたのならば何にも文句などない。
そう考えて一人頬が緩んだ志貴の足が、止まった。隣を歩いていたアルクェイドが急に歩みを止めたのだ。屋敷の敷地の小道を抜け、玄関まで後十mほどの所である。
「どうした、アルクェイド? 何か落としたのか?」
「…そんな、まさか。でもこの気配……間違いない……」
「アルクェイド?」
もう一度志貴が名を呼んでも、アルクェイドは眉をひそめたまま、何事か呟きつづけていて全く反応しない。こんなアルクェイドの姿を初めて見た志貴は少し不安に駆られ、彼女の肩を軽く揺すった。
「どうしたんだアルクェイド。俺の声、聞こえてるか?」
「ふぇ?! あ、ああ……志貴。ゴメン、ちょっと気を取られてたの」
「一体どうしたんだお前。急に怖い顔したと思ったらブツブツ何か呟き出して」
「……出来れば思い違いだと言いたい所だけど……この気配は間違えようがないわ。アルトルージュが、来てる」
「アルトルージュ……?」
志貴は記憶を探った。
今年の夏、三咲町を襲った一夜の怪異。
その身を現象と化した虚言の王、死徒二十七祖が一人『ワラキアの夜』。その彼を戯れ言と断じ、元の死徒たるズェピア・エルトナム・オベローンへと戻した、アルクェイドの姿をした「朱い月」。
彼女が語った、ズェピアに力を与えた者の名。それが確かアルトルージュ――
「あの『ワラキアの夜』を創ったヤツが、今ウチの屋敷にいるって言うのか?」
「そうよ。今の所妹も、翡翠や琥珀も無事みたいだけど……あら、シエルまでいるみたいね」
「え、シエル先輩も来てるのか。ていうか、そんな事まで分かるのかお前は」
改めて自分の彼女の『力』の強さを認識させられた志貴だったが、ふと疑問に思う。
「……なぁアルクェイド」
「何?」
「そのアルトルージュって、死徒なんだよな」
「……本当は微妙に違うんだけど、まぁそう思ってもらって問題ないわ」
「何でシエル先輩がいて、ウチにそんな死徒がいるんだ?どう考えても一触触発、というか、問答無用で戦うんじゃないのか? あの人の性格的、というか仕事として」
「無理よ。不死も無くなった今、シエル一人じゃアルトルージュには絶対に勝てないもの。シエルだって馬鹿じゃない。全力で戦いを避ける方法を選択すると思うわよ」
「絶対に、勝てない……?」
アルクェイドの言葉に驚きを露にする志貴。彼もシエルの戦闘能力は良く知っている。不死こそ失われたが、その身に備わった体術も、魔術の腕もどれも規格外と言って良い。
間違いなく人類の中でも最高クラスの戦闘能力の持ち主であるシエルが、絶対に勝てない相手。
足を止め、立ち尽くしてしまう彼の体に、小さな震えが伝わってきた。その正体に気付いた志貴は慄然とする。アルクェイドが、微かではあるが震えていたのだ。思わずその顔を見直してしまう志貴。
彼女の顔に浮かんでいたのは、緊張と怒り。そして僅かではあったが、紛れも無い恐れ。
アルクェイドにすら恐怖を呼び起こす存在。それが今自分の屋敷にいる。志貴の顔から血の気が引いた。その視線と顔色に気付いたアルクェイドは、力づけるかのように、彼の腕にそっと寄り添った。
「安心して。今の所は向こうにも戦う意思はないみたい。本気で私と戦いに来るつもりなら、護衛を全員連れてくるだろうし。取りあえず普通に帰りましょう。ただ、いつでも戦える心構えはしておいて」
「……分かった。お前も、あまり無茶はするなよ」
二人が屋敷にはいると、普段のように翡翠が出迎えてきた。ただ、物静かな翡翠が困惑の表情を浮かべつつ、二人の前に姿をあらわしたのが、常ならぬ様を想像させる。
「お帰りなさいませ。志貴様、アルクェイド様」
「ただ今、翡翠。ええっと、今ひょっとしてお客さん来てないかな?」
「はい、ただ今応接間の方に「あ、帰ってきたのねアルクェイド!」」
翡翠の声を掻き消すように、屋敷の奥の方から少女の声が志貴とアルクェイドの耳に届いた。アルクェイドが顔をしかめた様から志貴は判断した。間違いなくこの声の主が『アルトルージュ』らしい。志貴の体に緊張が走る。
その視界を黒い風が通り過ぎた。
「!」
それが、あまりにも速い人の動きだと認識するより前、黒い影はアルクェイドに飛びついて、いた。
アルクェイドですら反応できないスピード。それが通りすぎた衝撃で翡翠がよろけ、慌てて志貴が転ばないように支える。
影の体当たりを受け止め切れなかったアルクェイドが、床に派手にしりもちをついた。
「いったーい! 何よ! なんの真似よアルトルージュ!」
「アルクェイド〜、久しぶり! 本当に久しぶりだったね! おねーさん寂しかったんだよ?」
『………………』
志貴と翡翠は顔を見合わせた。
抱きついた(、らしい。風圧で周りの人がよろけるほどの勢いが出ていたが)勢いでアルクェイドを床に押し倒し、その胸に顔を摺り寄せて抱擁(だろう、たぶん。あんまりそう見えないが)している十三、四歳の黒髪の美少女。彼女がどうやらアルトルージュのようだ。
それにしても……アルクェイドが必死で引き剥がして起きあがろうとしても全くそれを果たせない辺り、確かに並の存在ではないのだろうが、目の前の可憐な少女が、「シエルでも絶対に勝てない存在」だと言われても、志貴には俄かに信じられなかった。
「どうして手紙の一つもよこしてくれなかったのよ。物凄く心配してたんだからね! 大体いつもゼルレッチやメレムには近況報告の手紙送ってるそうじゃない! あなたにとっておねーさんはどうでも良いの?!」
「ゼル爺には千年城の管理してもらってるし、メレムにはいつも起きた時のお世話してもらってるんだから、手紙くらいだすわよ! それよりもいい加減離れなさいよ、アルトルージュ!」
「えー、いやよ。本当に久しぶりだったんだから。もう少しこのままでいさせなさい!」
声に耳を閉ざして姿だけ見れば、久しぶりに帰ってきたご主人様に飛びついて甘える飼い犬を彷彿とさせるような、熱烈な抱擁っぷりである。また話している事だけ聞けば、思春期の気難しい妹と彼女を心配する姉の会話に聞こえなくもない。
それでも、アルクェイドは本気で嫌がっている……というか困っているようだったので、志貴はため息をつきながら二人に声を掛けた。
「あー、二人とも。さすがに玄関で寝ッ転がりながら抱き合ってるのは変だと思うし。せめて起きあがった方が良いんじゃないかな?」
「志貴ー、そう思うならこの女どうにか引き剥がしてよ〜!」
「志貴?」
アルトルージュが志貴に視線を向けた。アルクェイドを抱擁していた手を離し、やおらがばっと起きあがると、厳しい視線を志貴に向けてきた。思わずうっ、とうなり一歩引き気味になる志貴。
「ん〜、顔はまぁ合格。背もそこそこあるし、眼鏡を外せばもっと男前になりそうね。声も悪くないわ」
「はぁ……それはどうも」
「でも分からないなぁ。何でアルクェイドが結婚考えるほど骨抜きにされたのかしら……やっぱり、ベッドでのテクニック? 夜毎いろいろ教え込んだのかしら」
何気なくアルトルージュが言った言葉に、音を立てて二人は固まった。
「ぇぇでぇっ?! い、いいいいいきなりなななな何言い出すんですか出し抜けに!」
「ぁ…ああああああアルトルージュ!? んあなんあななななんでそれを?!」
「んん〜? 分からないと思った? そういう変化くらい一目でわかるわよ。伊達に長生きしてないんだから」
「いやそのあのえと……」
「で、どうなの? 一日の回数は? 持続力はある方? ほらほら、ちゃっちゃと喋っちゃいなさいな」
にまにまと笑いながら志貴を追い詰めていくアルトルージュ。志貴は冷や汗を流しながら徐々に徐々に壁際に追い詰められていった。
別の方向からは、今にも「志貴様、破廉恥です」と言い出さんばかりの、翡翠の泣き出しそうな視線が突き刺さる。共同戦線を求めようにも、アルクェイドは赤面して「あぅあぅ」などと意味不明な呟きをしているだけで何の役にも立ちそうもない。
『孤立無援』『四面楚歌』などと言った単語が志貴の頭をグルグル巡り出したが、勿論現状の解決にはなる訳もなかった。
と、通路の奥の方から複数の足音が志貴の耳に飛び込んでくる。
間違いなく秋葉達だろう。いつもはあの足音に怯えすら感じる時がある志貴だが、今日この場に限って言えば救いの女神の声にも聞こえるものであった。
やがて秋葉と琥珀、シエルがロビーに姿を見せた。
赤面して床にしりもちをついているアルクェイド、アルトルージュに壁際に追い詰められ、冷や汗を流している志貴。そんな彼を恨みがましい視線で見つめる翡翠。一目ではとても状況判断し難い様を見て、三人とも顔を見合わせる。
秋葉がため息を付いて、志貴に視線を向けた。
「……お帰りなさい、兄さん。随分と遅い御到着だったですけど」
「お、おうタダイマ、秋葉に琥珀さん。それにシエル先輩もお久しぶり。ついでに言うと大体約束通りの時間だったと思うんだけど……」
「感覚的な問題です。こっちはず〜〜〜〜っと吸血鬼に関する講義を聴かされていたんですから」
「何だそりゃ?」
「……兄さんに言っても仕方ないですね。まあそれはともかくとして……状況説明してもらえませんか?」
「ん〜とね」
その言葉に答えたのはアルトルージュだった。
「今志貴君に、アルクちゃんとの夜の生活について問い質してる所」
その言葉に、ホールの温度が急速に冷え切った。矢のように志貴に突き刺さる、秋葉とシエルの視線。琥珀一人は勝手知ったるという雰囲気で、面白そうにあはー、と笑っていたが。
志貴は前言を撤回したくなった。女神どころか、悪魔が増えただけだったようだ。それが証拠に、段々秋葉の髪の毛が赤く染まっていってるではないか。
「兄さん」
「は……はい?」
「なかなか興味深い質問をお受けのようですね。折角だから私にも聞かせていただけませんか?」
「えーっと、兄貴のソウイウ事を、妹が聞いてどうするんだと言う突っ込みは……?」
「命が惜しくなければ、どうぞ」
「……えーっと、ほら。折角シエル先輩も来てるし。彼女の前でそんな話する必要もないだろ?」
「いえいえお気になさらないで下さい遠野くん」
100%完璧に作り笑いで答えるシエル
「教会の人間としても私個人としても、真祖と人間のセックスライフは非常に興味がありますので。キリキリ白状しやがってくださいね?」
「……えーっと。こ……琥珀さんも?」
「んーと、そうですねぇ秋葉様。今ここで尋問すると言うのは止めた方が良いんじゃないでしょうか?」
「こ…琥珀さん!」
滂沱の涙を流しながら琥珀に感謝の視線を送る志貴。しかし琥珀さんは笑みを深くして言い切った。
「そろそろ夕食のお時間ですし。お食事を頂きながら、その席できっちりキッパリ隅から隅まで尋問しきる方が良いと思いますよ?」
「それもそうね琥珀」
ブルータスお前もか。
「アルトルージュさんもそういう事でよろしいかしら」
「ええ、良いわよ秋葉ちゃん。琥珀ちゃんの料理も楽しみだし、志貴君からとても面白そうな話も聞けそうだし、本当に楽しみな夕食になりそうね♪」
「あ、琥珀さんお願いが……」
「あはー、シエルさん、申し訳ないですが夕食にカレーは出ませんから」
「それじゃ翡翠、食堂の準備をしておいて」
「かしこまりました秋葉様」
アルクェイドと志貴を取り残し、着々と事態を進行させていく女性陣五名。その様を、半ば風化しながら志貴は見やっていた。
終わった。間違いなく、遠野志貴は何から何までしゃべり尽くさせられた挙句に、理不尽な八つ当たりを受ける事になるのだろう。通常被疑者には黙秘権があるらしいが、遠野裁判ではそんなモノは与えられないし、よしんばあった所で、死徒のお姫様やら教会の代行者やら遠野の鬼やら割烹着の悪魔相手に黙秘を貫く事など出来よう筈もない。特に最後が絶対無理。
今だ再起不能状態のアルクェイドを見やって、志貴は今日の自分の選択のどこに間違いがあったのか、本気で考え始めていた。
遠野の屋敷の廊下を幽鬼のようにフラフラと、脱力し切った姿で歩いていく姿があった。
言うまでもなく、女性陣による『尋問』という名の精神的拷問を終えた遠野志貴である。
彼はゆっくりと自分の部屋のドアを開け、ベッドに倒れこんだ。もはや服を着替える気力もない。彼の頭にあるのはひたすら『恥』の一文字だけだった。
「……俺が一体何をしたって言うんだ…」
ナニをしたから問い詰められたのだろうが、それを言ってしまっては健康な十代の男である彼には酷と言うものかもしれない。
彼我の戦力差は圧倒的であった。
まさに「絞り尽くされた」という他ない容赦のない攻撃の手の元、志貴の性生活は余す所なく女性陣の知る所となってしまったのである。本来なら彼と一緒に彼女らに立ち向かうべきアルクェイドも、割烹着の悪魔の巧妙な尋問テクニックによって、志貴がオブラートに包んでいた事まで一切合財暴露してしまった。彼にとっては、傷口に塩を塗りこまれたようなものだ。
ソウイウ話には免疫が全くなさそうな翡翠まで真剣に聞き入ってきた挙句、話の中に出てくる専門用語の解説まで求めてきた時には、志貴も途方にくれた。
性知識など欠片もなさそうな少女に、真顔で「後背位ってなんですか?」とか聞かれて、どう答えろというのか。
逃げ出そうにも人外四人(?)の包囲網は、さすがに七夜の体術を以ってしても如何ともし難く、結局女性陣の知的好奇心が満足し切るまで、尋問は続けられたのである。
「あはは、取りあえず志貴君の精力が底無しだってのは分かったし、これならアルクェイドを寂しい思いさせる心配はなさそうね。おねーさん安心したよ。でも少しは労ってあげてね?」
「兄さん……体が弱い割になんでそういった事は人並み以上なんですか」
「あはー、秋葉様、人間はどこか体の機能が弱ると他が強化される物ですから」
「志貴様を、野獣です」
「遠野くんのエッチ……まさかそんな事まで」
五者五様であったが、例外なく『絶倫超人』のお墨付きを頂けた志貴。勿論彼は全然嬉しくなかったというか、余計なお世話もいい所であったが。
さすがに思い出しても気分が滅入るだけ。志貴はベッドに突っ伏したまま、布団を引っかぶる。彼はもう不貞寝してしまうことに決めた。
と、その時ノックの音が部屋に響いた。
「……志貴? いる?」
「アルクェイドか。開いてるよ」
その言葉におずおずと部屋の中に入ってくるアルクェイド。普段の元気一杯、自信に溢れた姿からは想像し難い弱々しさ。どうも先ほどの話だけが原因ではなさそうである。
志貴は起きあがり、笑顔を浮かべると自分の横に座るように促した。
「どうした、えらく沈んでるみたいだけど」
「うん、あのね……アルトルージュの事、なんだ」
アルクェイドは困ったような、思いつめた顔で志貴に向かって話し始める。
「結局帰ってきてから、ゆっくり説明する時間もなかったんだけど。アルトルージュは私の姉なの」
「ああ、そうみたいだな」
「彼女はブリュンスタッドの名を持つ真祖と、彼から直接吸血された死徒の間に生まれた混血で、私は真祖達に作られた存在。だから、本当の意味での姉妹ではないのかもしれないけど。でも、アルトルージュは私を妹だと思ってくれているの」
「そうだな、それはとても良く伝わってきたよ」
「でも……でもね。私、あの人にどう接したら良いのかが分からないの」
志貴を見つめるアルクェイドは、今にも泣き出しそうなほどに弱々しかった。
「ロアに騙されて私が暴走してしまった時、それを止めてくれた一人がアルトルージュなの。彼女が私の髪の毛を奪って、何らかの契約を行った事によって、私の中の吸血衝動は収まったのよ。でも、ロアを追っていた時の私はその事を屈辱と認識して、あの人とは顔も合わせようとしなかった」
「……なるほど、そうだったのか」
「志貴と出会って、ココロを手に入れて、そう言う状態で今日初めて会って、気付いたの。あの人は、私に愛情を向けてくれているんだって。だけど、今更どう接すればいいの? 何百年も、まともに口すら聞かなかったというのに……」
そこまで言い掛け、感情の整理が追いつかなかったのか、とうとう泣き出してしまうアルクェイド。志貴はそのまま彼女をそっと抱き寄せ、優しく頭を撫でてやった。
やがて少し落ちついたのか、しゃくりあげながら、ぽつりぽつりとまた彼女は語り出した。
「……それに、私は身に備わった使命として死徒を狩らないといけない。そしてアルトルージュは『黒の姫君』とも言われる、死徒の支配者の一人なの。私が生れ落ちた時から彼女はそうだった。そして彼女は私の使命を知っていたのよ!」
アルクェイドは志貴の胸にしがみつき、泣き腫らした瞳でじっと志貴を見つめる。
「何で? 何でなの?! 何でいつかは自分を殺すかもしれない相手に、あんな情を向けられるの?!」
「……姉妹、だからじゃないかな」
「それがわからない……わからないのよ。自分が殺されてしまったら何にもならないじゃない……」
アルクェイドは志貴の胸に顔を伏せて、くぐもった声でそう呟いた。
無理も無い。そう志貴は思う。彼女がそう言ったココロを手に入れてから、まだ一年と少ししか経っていない。そして彼女にそう言った事を教えるべき親はすでに存在していない。理屈で割り切れないものを、理屈で理解しろと言うのが無理な相談だろう。
だから、志貴は身近な例えを使って話す事にした。
「俺がさ、七夜っていう、すでに滅んだ退魔の家系だって言う事は知っているだろ?」
「……? う、うん」
「七夜を滅ぼしたのはさ、秋葉の父親なんだ」
「………え。志貴、それって」
「そう、だからこの遠野の家は俺の敵の家って事になる。本来なら俺は遠野に――秋葉に復讐しないといけないのかもしれないな」
「ダメだよ! 志貴、そんなのは絶対にダメ! だって妹は良い子で、あのメイドさん達も……きゃっ!」
志貴の言葉に思わず跳ね上がったアルクェイドは、その勢いのまま彼を押し倒してベッドに転がってしまう。目の回りを真赤にした困惑してるアルクェイドに、志貴は苦笑混じりに微笑んだ。
「当たり前だろ。俺には復讐なんて気持ちはこれっぽっちもないんだから。たとえ血は繋がってなくても、秋葉は俺の妹だ。妹として、秋葉の事をとても大切に思ってる。そして自惚れじゃなければ、秋葉も俺の事を好きでいてくれてる筈なんだ。『魔』との混血の敵である、退魔たる俺の事をね。でもたとえ秋葉がその事で俺の事を嫌っていたとしても、俺は秋葉の事を嫌いになる事はないよ」
彼はそのままアルクェイドの背中に手を回して、そっと引きこんだ。逆らわずそのまま倒れこんでくる彼女の耳元に口を寄せて、心にゆっくりと染み渡るように言葉を紡ぐ。
「アルトルージュさんも、そうなんだと思うよ。たとえお前が『死徒を滅ぼす』という使命を身に帯びていたとしても、そんな事は姉が妹に向ける愛情の妨げになんかなるものじゃない。姉妹の絆って、そういうものなんだよ」
その言葉に再びアルクェイドは泣き出した。大きな声で、まるで童女のように。そしてそんな彼女の頭を、志貴は優しく撫で続ける。
「うぇぇ……うぇぇぇん……志貴……志貴、ありがとう……」
「お礼を言う相手は俺じゃないよ。明日、アルトルージュさんに言ってあげな、「姉さん」って。それで全部問題無しなんじゃないかな」
「うん……うん、わかった……でも、本当にありがとう……」
泣き疲れてそのまま眠ってしまったアルクェイド。しばらくその寝顔を眺めていた志貴は、軽く彼女の頭を撫でると、ゆっくりと戸口に向かって歩いていった。
ドアを開けると、その前には静かに黒い少女が立っていた。彼女はベッドの上にちらりと視線を送ると、楽しげに言う。
「アルクェイドったら、眠ってるのね。ふふ、可愛い寝顔ー」
「ええ。ですから外で話しませんか?」
「あら、志貴君は私が来た理由が分かってたの?」
「いえ。でも何となく俺と話がしたいんじゃないか、そう思ったんです」
そう答えた志貴に対して、満足げにアルトルージュは頷いた。そのまますたすたと、玄関に向かって歩いていく。その後ろを、志貴は慌てて追いかけていった。
玄関を抜け、屋敷の離れへと続く道。うっそうと茂る森の中、そこだけが繰り抜かれたかのように開けた場所があった。後ろを振り返る事もなく歩いていたアルトルージュが、そこで静かに立ち止まった。
「良い場所ね。私の領地にもこういった場所はなかなかないのよ」
「そう、ですか」
思わず生返事になってしまう志貴。「領地」と言う言葉が飛び出すと、やはり目の前の少女は強い権勢を持った「姫」である事を再認識してしまう。たとえそれが人に有らざる者だとしても、だ。
「私、志貴君に幾つか聞きたい事があったの」
「ええっと、夕食の時みたいな話題でなければ構わないですけど」
その言葉にぷっと吹き出すアルトルージュ。そう言った仕草は外見相応に可愛らしい。
「違う違う。もう、そんなに根にもたないでよ。ちょっとした悪戯心だったんだから」
「……そう言ったのはもう勘弁してくださいね」
「ええ。聞きたいのは別の事。あなた――どうやってネロ・カオスやロア、ワラキアを葬り去ったの?」
「!」
何気なく放たれたその質問に、志貴はどう答えるべきか悩む。嘘はあまり吐きたくない。しかし自分の目の事を、今日始めてあった人に話すのはさすがに躊躇いがあった。それがたとえアルクェイドの姉であっても。
結局、志貴は当たり障りの無い答えをする事に決めた。
「俺は元々退魔の家系です。でも、ネロやロアと戦ったのは主にアルクェイドや先輩で、俺は脇で少し手伝っていただけですから……」
「ふふ、志貴君って嘘が下手ね。いえ、嘘という訳では無いか。事実を全て話していないだけね」
「…なぜ、そうだと?」
「『混沌』ネロ・カオスに『転生無限者』ロア……彼らって、アルクェイドとはひどく相性が悪いのよ。あの子基本的に力押しだから、真祖をも超える耐久力を持つネロや、魂だけで生き続けるロアなんかは、『倒せ』ても『滅ぼす』事なんか出来やしないのよ」
「だから、それは先輩が……」
「そうね。埋葬機関の第七位も来ていたみたいだけど。でも彼女が第七聖典を使った所で、ロアはともかくネロや、ましてや現象たるワラキアを『滅ぼす』事など出来る筈がない。とすれば、私にとって未知の力を持ってる貴方しかいないでしょ? 貴方の眼鏡はどうも魔眼殺しのようだから、何か強力な魔眼を持っているんだろうけど」
アルトルージュの洞察に、志貴は舌を巻いた。見た目や言動に騙されていたが、彼女もまたアルクェイド以上の年月を生きた超越種なのである。そんな彼女を相手に作り事を話しても騙しとおす事は難しそうだ。
志貴は腹を括った。真実を話そう。どういった反応が返ってくるかは、神のみぞ知る、だ。
「……実は、この眼鏡を外すと俺の目には、「モノの壊れやすい線」が見えるんです」
「……まさか、『直死の魔眼』?」
「ええ。その力を使って、アルクェイドと一緒にネロやロア、そしてワラキアを滅ぼしたんです」
「……千年以上生きてきて、初めて持ち主にお目にかかったわ。「」の眷属でもなければ、根源に辿りついた魔法使いでもないのに、そんな力を持ってるなんて、ね」
アルトルージュは志貴の言葉に指を頬に当て、しばらく考えこむ素振りを見せた。やがて、何かを決意した表情で志貴に向き直った。
「志貴君。貴方に提案があるの」
「何ですか? アルトルージュさん」
「私の死徒にならない?」
あまりにもあっさりと、彼女は言った。思わず絶句した志貴に向かって、そのまま言葉を繋げる。
「ああ、誤解しないで。別に貴方を支配したり、手駒にしたいわけじゃないわ。その力を以って、ずっとアルクェイドを守ってあげて欲しいの。本当はあのコが貴方の血を吸うのが一番良いんだろうけど、そうすればあのコは堕ちてしまう。
でも私の死徒になれば、あの子は堕ちないまま、貴方も永遠を歩む事が出来る。体の強度や魔術回路も飛躍的に高まるから、きっと今以上に直死の魔眼を使いこなす事が出来る筈よ。
太陽や流水は避けなければいけないけど、そんなに悪い取引じゃないと思うんだけどな?」
「……本気で言っているんですか?」
「ええ、勿論。私は血と契約の支配者。嘘や冗談の使い時は弁えているつもりよ」
確かに、アルトルージュの顔は真剣そのものだった。
だから、志貴も彼女の顔を見据えて、言った。
「お断りします」
「何故? 私では貴方の『親』として不服と言う事?」
「そうじゃないんです。貴女の死徒になれば強い力も手に入るだろうし、あいつと永遠を歩くこともきっと不可能じゃないでしょう。物凄く魅力的な提案です」
「だったら、どうして断るの?」
「でも、きっとアルクェイドが好きなのって『俺』なんですよ。『俺だった死徒』じゃなくて。だから、俺は人間としてアイツと……」
志貴は最後まで言い終える事が出来なかった。自らに向けられた圧倒的な殺意と、そして怒りの感情のせいで。
アルトルージュは涙を流していた。真紅の瞳から流れ落ちる銀の雫。それを拭おうともせず、志貴の事を睨みつける。
「っ貴方! 自分がどれだけ残酷な事を言っているか分かってる?! 貴方達がどれだけ長生きした所で数十年。それは私達にとってうたた寝のような時間でしかないのよ!それから先の永劫を、貴方を失った悲しみと共にアルクェイドに生きていけって言うの?!」
「アルトルージュさん……」
「アルクェイドは貴方を愛してしまった。何も知らなければ、失う辛さも知らないで済んだのに! 貴方は、あのコに感情を与えた代わりに、とてつもない悲しみを背負わせようとしているのよ!」
アルトルージュのその言葉と共に、世界が変容する。
赤く、紅く、朱く染め上げられていく世界。はっとした志貴が頭上を見上げると、そこには信じられないほど大きく、朱い月が煌々と大地を照らし出していた。
「こ……れは……」
「私の
そして、アルトルージュも変容していた。
少女から、二十歳ほどのたおやかな淑女へ。黒く艶やかな長い髪はそのままに、朱い月に照らし上げられたその玲瓏な美貌は、正にアルクェイドの姉という姿に相応しいものだった。
彼の中の血が悲鳴を上げる。
吹きつけてくる自分への殺意に、飛びそうになる意識。反射的に眼鏡を外したが、まるで満月の下のアルクェイドのように、アルトルージュの体には線の一本も走ってはいない。
朱いセカイに君臨する、漆黒なりし死徒の女王。
「無理よ。
「っ! その姿は!」
「私の『力』はひどく不安定だから、普段は一番制御し易いあの姿で暮しているだけ。光栄に思って頂戴? 人間一人殺すのにこの姿になったのは、貴方が初めてよ」
その言葉が、始まりの合図。
空を断つように振り下ろされるアルトルージュの繊手。それを確認すらせず、反射的に志貴は半身をずらす。
それが、彼の命を救った。
志貴の体にすさまじい衝撃が叩きつけられる。とっさに顔を庇った彼の耳に、一瞬遅れて何かが突き抜けていった『音』が飛びこんだ。
『それ』が後ろの木々をなぎ倒していく音が、夜の静寂を打ち破る。
アルトルージュの生み出した衝撃波の尋常でない威力に、志貴は冷や汗を流した。マトモに食らえば、間違いなくあの世行き。
再びかき消えるアルトルージュの腕、とっさにその場を飛びのく志貴。一瞬の差で爆砕される大地。
一瞬驚いた顔をした彼女は、しかし何事もなかったかのように攻撃を再開する。
不可視の衝撃波など普通の人間に躱せるものではない。それでもなんとか彼が躱してのけているのは、記憶と共に取り戻した、七夜の体術のお陰だろう。
アルトルージュの予備動作は七夜の基準からすれば読みやすく、狙いが分かりやすい。狙いが分かれば、その射線から身をそらせば良い。
しかし――志貴は焦燥する。
アルトルージュの攻撃自体が、そして次の動作の起こりが半端ではなく速い。いくら七夜の移動能力でも、全く間合いが詰められない。
そして何より、夜の吸血姫と自分とでは圧倒的にスタミナに違いがある。
このままではどう考えてもジリ貧だ。
「ふ〜ん。いくら直死の魔眼持ちといっても、易々とあの連中を倒せるわけは無いって思ってたんだけど。なるほど、その戦闘能力あってこそだったのね」
感心したように言うアルトルージュ。
しかしそれは裏を返せば、いつでも志貴を殺すだけの自信があると言う事。
「アルトルージュさん、止めてくれ! 俺は貴女と戦いたいわけじゃない!」
必死に呼びかける志貴。しかし彼女は人形のような冷たい笑顔を浮かべて言う。
「ダメよ。貴方が進んで死徒にならないのなら、私が貴方を殺さないといけないの」
「なぜ?! 俺ではアルクェイドの夫にはふさわしくないって言う事か?!」
「違うわ」
答えながらもアルトルージュは攻撃の手を緩める事はない。
「貴方は妹の寵愛を受ける資格がある。なにより妹は貴方のことを本当に愛している。私も、あなたの事は気に入ってる。だから、今ここで私が貴方を殺さないといけないの」
その言葉に混乱する志貴。
何で自分の所を「気に入ってる」と言う相手から命を狙われないといけないのか。
その混乱が、彼の動きから切れを奪う。
アルトルージュの攻撃が一瞬止んだ。ほっとしてしまった彼の動きが緩む。
刹那、彼女の姿がかき消えた。
それが自分に向かって飛びかかってきたのだと気付いた時には、既に彼は地に仰向けに押し倒されていた。
「終わりね」
そう静かに呟いたアルトルージュは、朱い月に照らし上げられ、本当に美しかった。そしてその美しさ故に、志貴の心に凄絶な恐怖を呼び起こした。
死ぬ。絶対に死ぬ。目の前の存在は夜の絶対者。勝つ事など出来るわけがない。
彼女の目は本気だ。命乞いも聞き入れられないだろう。
だが……それならば、志貴は一つ知っておきたい事があった。
「何で……俺は殺されるんですか?」
「アルクェイドのため。あの子の為に、貴方には私に殺されてもらわないといけないの」
「それが分からない。せめて教えてくれても良いでしょう、アルトルージュさん?」
「……私が貴方を殺せば、アルクェイドは私を憎む。かつてロアを追いつづけたように、永劫私を許さないでしょう。でも……そうすれば、アルクェイドは貴方を失う悲しみに押しつぶされないで済む。私が恨まれる事であの子が生きる目的を手に入れ、永劫を生きる力となるのなら、私はいくらでも憎まれるわ。今だって好かれている訳じゃない。ちょっと関係が変わるだけだもの」
そう、寂しげに語るアルトルージュの顔は、本当にアルクェイドへの愛情に溢れていて。
志貴は絶句してしまった。
この人は、本気だ。本気でアルクェイドの事を大切に思っていて、そのためならば自らが傷つく事など微塵もためらわない。
あまりにも、純粋で、哀しい。
哀しすぎる人だ。
だから、志貴は言わずにいられなかった。
「……んなっ!」
「何? 言い残す事があるなら聞いてあげる」
「この……この、ばかおんなーっ!!」
朱いセカイに響き渡る大音声。さすがのアルトルージュも、目を丸くして、きょとんとした顔をしてしまう。完全に生殺与奪を握った相手から「ばかおんな」呼ばわりされたのは、恐らく彼女の人生始まって以来の経験だったろう。
怜悧な美貌が、怒りに紅潮する。
「……それが遺言なのね」
「うるさい! あんた、あいつの事を全然分かってないじゃないか!
アルクェイドは、ちゃんと貴女の愛情に気付いているんだ! 応えたいって思っているんだよ!」
「……なん…ですって……」
呆然とするアルトルージュ。予想もしていなかった言葉に、完全に彼女は呆けてしまった。
――真祖の姫として、死徒たる自分を狩るべき宿業を持つ妹。真祖が最終兵器として作り上げた、ココロを持たない人形だった妹。
数百年、自分がいくら慈しみ、愛情を向けても反応を返す事のなかった妹。
それでも、この世に自分の他にたった一人残った、最後のブリュンスタッド。自分が命ある限り、守り抜こうと思った最愛の妹。そのために自分が憎まれる事など、何でもなかった。
そう、思っていた。思っていたのに――
「嘘よ! あの子は私の事なんか愛していない。あの子が愛を向けるのはただ一人、貴方だけよ!」
「嘘なんかじゃない! 貴女が俺の部屋に来る前、アルクェイドは俺に相談してきたんだ。「アルトルージュへの接し方が分からない」って。感情を手に入れて、人形じゃなくなって、あいつはようやく貴女が向けてくれた愛情に気付いたんだ。たとえ俺が死んだって、あいつは孤独になるわけじゃない! 貴女がいるじゃないか!」
「……信じられない! そんな事を言われても信じる事なんて出来ないわよ!」
半狂乱になり、志貴の顔に手刀を突きたてようとするアルトルージュ。
すんでのところで首を仰け反らせ、それを躱す志貴。態勢の崩れた彼女を全身の力を振り絞って跳ね除けた。
殺されるわけにはいかなかった。
命が惜しいと言う感情ではない。今ここで自分が殺されてしまえばこの姉妹の破局は決定的になってしまう。そんな事をさせるわけにはいかない――彼の中ではその感情が先に立っていた。
どうすれば、戦いを止める事が出来るか。
それは考えるより先に体が自然に行っていた行動。
朱く染め上げられたセカイの綻びを、探す。このセカイを『殺』して、彼女の予想もつかない事態を引き起こす。
志貴の頭痛が酷くなる。頭が割れそうになる寸前、彼の目は大地にそれを見出した。
「砕けろ!」
その叫びと共に、志貴は七つ夜をセカイの『死点』に突き立てた。
瞬間。朱いセカイが崩れ去った。朱い月は闇に姿を消し、セカイは世界に戻った。
暗く、優しい闇が再びその姿を取り戻したのである。
「ま……さか、私の固有結界が……」
「はぁ……はぁ、どうだ、アルトルージュ。まだ、やるか?」
呆然とするアルトルージュに対して、七つ夜を油断なく身構える志貴。
頭痛はもう絶え難い所まで来ており、今にも倒れそうだったが、今ここで倒れるわけには行かなかった。目の前の、あまりにも優しく、不器用な『姉』を説得しなければいけないのだから。
「確かに、俺は貴女たちから見れば、あきれるほど短い間しか生きられない。だけどな、その間に俺はアルクェイドに『幸せ』をあげるって決めたんだ。そのために遠野志貴は生きるって。俺が死んでもあいつが楽しく生きていけるように、沢山の思い出を作ってあげるって。だから、俺が死んでしまった後は……アルトルージュさん、貴方があいつのことを見守ってあげて欲しいんだ」
「志貴、くん……」
「俺は『人間』として、『夫』として、あいつにしてあげられるだけの事をする。そこから先は『姉妹』の領分、だから……」
そこまでで、限界だった。七つ夜を取り落とし、大地に崩れ落ちそうになる志貴。
その体を、白い影が走り寄ってきて、支えた。
「志貴、志貴! 大丈夫?!」
「あー、アルクェイド、か。ゴメン、俺、ちょっと限界……」
その言葉と共に、志貴は意識を失った。
気を失い自分にもたれかかってきた彼の体を愛しげに抱きしめ、側の大樹の陰に優しく寄りかからせたアルクェイドは、キッとアルトルージュを睨みつける。
「一体何があったのか、説明して頂戴、アルトルージュ。その姿、それに固有結界まで持ちだしたんだから、穏やかな話じゃないわよね?」
「ええ……私ね、志貴君を殺そうとしていたの」
「アルトルージュ!」
瞬間、アルクェイドの瞳が金色に染まった。
世界が畏怖に震え、空気が悲鳴を上げる。地球に生み出されし絶対者が、その力の枷を完全に取り払った姿。
目の前の存在を、完全に滅するために。
許すわけにはいかない。自分にとって何より大切な志貴を殺そうとしたこの女を、一片残さず葬り去らなくてはならない。
アルクェイドの繊腕がうなりを上げ、その拳がアルトルージュの顔に突き刺さった。
そのまま首がすっ飛んでもおかしくないような一撃。たまらずアルトルージュは木々をなぎ倒しながら、十数メートルの距離を吹っ飛ばされる。
その後を白い光のような速さで追いかけたアルクェイドは、倒れ伏したアルトルージュの首をひねり上げ、木に押しつける。
「どんな死に方が良い? 圧死、轢死、焼死、斬死…死に様くらいは選ばせてあげるわ」
金色の魔眼を見開き、アルトルージュを締め上げるアルクェイド。その姿を見つめ、苦しげに息を接ぎながら、アルトルージュは言った。
「仕方、ないか……アルクェイド、の…大事な人、殺そうと…した、んだものね……」
「『黒の姫君』ともあろう存在が、えらくしおらしいじゃない。楽に殺してあげるつもりはないけど、無抵抗じゃ面白くない。本気を出したら? アルトルージュ」
「……好きに、なさい。あなたの……気の済むようにしてくれて構わないわ」
そう呟くアルトルージュ。アルクェイドは無言でその手にこめた力を少し緩める。怪訝な表情を浮かべたアルトルージュに、彼女は静かな声で問いかけた。
「一つ聞かせて。何で志貴を殺そうとしたのにプライミッツ・マーダーを呼ばなかったの? あなたがその気になれば、自分の手を汚そうとする必要すらなかったのに」
それを聞いたアルトルージュは静かに微笑んだ。
「『敵』がいれば、貴方は悲しみに押し潰されなくて済むと思ったからよ。でも他に怒りの矛先を向けさせる訳にはいかない。貴方の憎しみは、最初から全部私が受け止めるつもりだったもの」
その言葉に、アルクェイドの感情が爆ぜた。握った拳を、駄駄をこねる様にアルトルージュに叩きつける。それは攻撃などではなく、ただ彼女の中に貯まりたまった感情を、形を変えて吐き出さんとしている様であった。
「どうして! どうしてあなたはそんな事が言えるの!
私はあなたに何も返していない。声を掛けられても返事など返した事は無いし、向けられた視線はそらしてきた! なのにどうしてあなたは!」
「そんなの決まってるでしょう? 私は、あなたのお姉さんなんだから。姉として、妹には出来る限りの事をするって決めてたの。この世にたった二人だけの姉妹なんだから」
そう言うと、アルトルージュはそっとアルクェイドの右手を掴み、自らの左胸にあてがった。
「でもね、私はやってはいけない事をしてしまった。どんな理由であれ、あなたの大切な人を手にかけようとした。だから、許せないと思うなら好きにしなさい。この胸を貫いて、心臓を抉り出したいならそうなさい。あなたの手でなら、私は滅ぼされてあげる」
そのままアルトルージュは目を閉じる。アルクェイドはあてがわれた手をそっと振り解き。ポツリと呟く。
「志貴がね、言ってた。親の敵の娘だという事実も、兄妹って絆の前には関係無いって。きっとあなたもそうなんだろうって」
「志貴君が、そんな事を言っていたの?」
目を見開き、驚いたようにそう言ったアルトルージュ。一瞬の間の後、やがてクスクスと笑い出す彼女。怪訝な顔を浮かべるアルクェイドに、さっぱりした様子で彼女は言った。
「あーあ、なんか完璧に志貴君に負けちゃったわね。本当に、私なんかよりずっとしっかり物を見てる人なのね。大した物だわ」
「……どう言う事?」
「私は八百年、あなたの事を見てきたのに。貴方の事ならば誰よりも分かっているつもりだったのに。たかだか一年、あなたと一緒にいただけの人間の方が、あなたの事を良く分かっていた。あなたの事、全然分かってないって、怒られちゃったのよ、さっき。これって、かなり悔しいわよ?」
「アルトルージュ……」
「でもね、当たってたと思う。「あなたのためだ」なんて、自分の中で理由をつけて志貴君を殺そうとしたのだって、結局は嫉妬してたんだと思う。誰よりもしっかりとあなたを見てる志貴君にね。それにね。嬉しいんだ。「ああ、妹の、男を見る目は確かだったんだ!」、って。だから大事にしなきゃだめよ? 千年生きたって、こんな良い人はそうそう見つからないんだから」
寂しげに、でも嬉しそうに妹に向かって語りかける姉。その姿に、アルクェイドの魔眼も常の色に戻っていった。
八百年生きてきて、初めて見た姉の顔だった。
志貴にコワされる前は、何故彼女が自分に親しげに話しかけてくるのかが理解できなかった。感じる力から、彼女もまたブリュンスタッドである事は分かっても、そういう態度を取ってくる論理的な理由が見つけられなかった。いや、見つけようとも思わなかったのだ。
感情を手に入れた今、アルトルージュが今まで取ってきた行動の理由がようやく理解できた。それに対して自分が取ってきた行動が、どれだけ彼女に寂しい思いをさせてきたのか。
知らず、アルクェイドはアルトルージュに向かって手を伸ばしていた。先ほど殴り飛ばした頬をなでるように、恐る恐る指を触れさせ、震える声で、姉の名を呼ぶ。
「ごめん……なさい、アルトルージュ……姉さん」
それを聞いたアルトルージュはビックリしたようにアルクェイドの姿を見つめた。だがそれも一瞬の事。すっと側に寄って、アルクェイドをぎゅっと抱きしめる。
アルクェイドもまた静かに目を閉じ、おずおずと、自分もぎこちなくアルトルージュを抱きしめ返す。その頬にはうっすらと涙が伝っていた。
「初めて…初めてそう呼んでくれたね。ありがとう、アルクェイド」
「ごめん……今まで、本当にごめん…」
「バカ。貴女はそんなこと気にする必要無いのよ。でも、本当に悪いと思っているのなら、姉さんと約束をして頂戴」
「……何、どんな約束?」
「簡単な事。そして凄く難しい事よ。志貴君に幸せにしてもらいなさい。そして志貴君の事も幸せにしてあげるのよ」
「うん……うん、分かった……姉さん」
自分の耳元で、嗚咽と共に頷く妹。それを聞いたアルトルージュもまた、涙を流していた。
自分がこんなに泣き虫だったことにアルトルージュは驚いたが、気分の悪いものではなかった。千の年を重ねても、今日ほど幸せな気分に浸った事は無かったのだから。自分と妹の掛け橋をしてくれた志貴に、心からの感謝を贈りたい気持ちで一杯であった。
――だから志貴君。貴方が生きている間、アルクェイドは貴方にお任せするわ。
大樹の下で眠ったままの志貴に、そう視線で伝えると、アルトルージュは少し強くアルクェイドを抱きしめ直した。
腕の中の柔らかい妹の感触に、千年分の愛情を込めて。
黒き姫は白き姫に、優しく、温かい抱擁を贈るのだった。
END
月姫SS第2弾。シエル先輩の来襲と見せかけて、ブリュンスタッド姉妹和解編です(ぇ
最初に書いて、月姫SS投稿掲示板に載せた時からは大分手を加えましたが、大本は変わっていない……筈。
……比較するのは勘弁してください(笑
色んな作家さんが書かれている、アルクェイドの姉的存在であるアルトルージュ、MARの妄想ではこうなりました。
いや、シスコンにし過ぎたというか頭のネジ外しすぎたというか、だけどどこかに『黒の姫君』らしさが垣間見えててくれるといいなぁ、とか思ったり思わなかったり。
ちなみに俺には炉属性はありませんので、アルトルージュは変身後の方がお気に入りです。(笑
さて、長い上に中途半端にシリアスだったり、あんまり笑えないコミカルだったりと言う話になってしまいましたが、感想など掲示板やメールで頂けると非常に嬉しいです。
それではまた、次の作品で。
・補記 アルトルージュの固有結界「朱の月輪」
彼女の心象風景である『朱い月に染め上げられたセカイ』を現実世界に展開する固有結界。『ブリュンスタッド』に連なるモノの能力を、飛躍的にアップさせる力を持っている。
この中でのアルトルージュは普段のアルクェイド以上の不死性と身体能力を持っており、体を成長させた場合も負担を受けることは無い。
血と契約の支配者が、立ちはだかる者に鉄槌を下すための処刑場である。