1 前日
「万死ね」
「値するどころかそのものですかっ!?」
虫けらを見つめる視線で僕を見下ろす戦場ヶ原ひたぎは、今日も今日とて絶好調だった。
相変わらず物の少ない殺風景な彼女の家で、ちゃぶ台の上に仁王立ちで哀れな被告人に刑を申し渡す戦場ヶ原裁判官は、虫けらをいたぶる猫に見えてしょうがない。おかしいなあ。彼女の担当は蟹で、猫は羽川の筈なんだけど。
ちなみに弁護人はなしで検事は彼女の兼任だ。どんな魔女裁判だよ。
「は、発言の許可をいただけないでしょうか、ガハラさん」
「必要ないわ」
「せめて体裁だけでも整えろよ!」
「面倒だから聞きたくないもの」
「お前の面倒くさがりで僕は一万回殺されるのかっ!」
だめだ。相変わらずノリノリだ。最近はずいぶん丸くなってきたしていたのに、僕をいじめたくなった時だけは三倍段で真っ赤に染まってる。
「素敵じゃないの。最愛の女性に一万回も最後を看取ってもらえるのよ。普通は一度しか出来ない事を阿良々木君は一万回も体験できる。奇跡のような幸運だと思わない?」
「最愛相手でも最悪相手でも、死ににくいだけで殺されれば僕は死ぬんだよ! しかもお前、どう考えても楽に殺してあげるとかそんな感情皆無だろ!」
「当然よ。許しがたい罪悪だもの」
自分の隣に視線を送って、戦場ヶ原の口元がつりあがる。
「私の可愛い後輩の裸を、勝手に覗き見ただなんて」
「申し訳ない、阿良々木先輩。阿良々木先輩も大事な大事な人なのだが、私にとって戦場ヶ原先輩は特別なのだ」
ああ、分かってるよ。
弁護人はいないが、証人は存在する裁判である。ただし検察側。どう考えても僕に勝ち目も未来もない。
決まり悪そうな顔で戦場ヶ原の隣に立っている、証人であるところの神原駿河。僕の命が風前の灯となった原因である。
いや、事実だけ見れば確かに戦場ヶ原の言う通りなんだけど。
確かに、神原の裸を思いっきり見てしまったのは確かなんだけど。
でも、あれは偶然と言うか不可抗力と言うか。だって、誰が真昼間から裸で布団の上に寝っ転がっているだなんて思うよ!
「それで、阿良々木君」
「はいなんでしょうかガハラさん」
戦場ヶ原の声に、反射的に背筋を伸ばして居住まいを正す僕。畳の上に直に正座を強制されてもう一時間なので、そろそろ本格的に足の痺れがピンチなのだけれどそんな事を口にすれば即座に処刑執行されかねない。というかされる。
「神原の裸を見てどう思ったの?」
「えと、どう、とは?」
「どう思ったのか」戦場ヶ原の鋭い視線が、僕の瞳を刺し貫く「聞いているのよ」
どっちだ。
ありのままを答えればいいのか。「いややっぱりガハラさん、あなたの裸の美しさにはかないませんでしたHAHAHA」と矛先を逸らすべきか。
間違いなく、僕の命の分水嶺だ。どう答えれば僕は生き残る事が出来るんだ。
いや実際の所、初めて見てしまった女の子の裸であるところの戦場ヶ原のヌードは、それはそれは素晴らしいものだったわけなんですが。前からモロだったし。
「そう。答えないと言う事はやっぱり万死に……」
「綺麗でした! 背中からお尻にかけてのラインに生唾飲みました!」
どこから取り出したのか金属加工用の巨大コンパスを構えた戦場ヶ原の姿を見て、恥も外聞もなく僕は叫んでいた。
「困ったな、そんな事を言われると照れてしまうぞ、阿良々木先輩」
いやお前はそこで体くねらせるなよ神原後輩。そう言うキャラじゃないだろう。
「そう、綺麗だと思ったのね」
戦場ヶ原が投げ捨てたコンパスが、凄い音を経ててちゃぶ台に突き刺さった。一体それをどう使用するつもりだったんでしょうか。
そしてその手に代わりに握られたのは、見覚えありすぎるホッチキス。
「まぶたと唇を合わせて閉じてしまえば、そんな不快な言葉を聞かずに済むのかしら」
「届かねえよ! どんな顔してるんだよ僕は!」
「届かせるわよ」
「無理やりかよ!?」
「当たり前でしょう。大切な彼女を目の前にして、他の女の裸を褒めるような腐った目と口は、空気に晒している事が環境汚染だわ」
大切な彼氏の大切な顔のパーツを産業廃棄物扱いである。
「……ちなみに、褒めていなかったら?」
「合わせて耳と鼻も一緒に閉じてあげる。私の大切な後輩を貶めるなんて神をも恐れぬ所業、それ位しなければ阿良々木君の体に畏れは刻めないでしょうし」
どう答えても僕の死亡は確定していたらしい。分水嶺だと思っていたら、滝壺目掛けてまっさかさまでした。
「……不可抗力で見てしまったのだと、一応弁明しておきたいです」
「神原が気付いても、まじまじと見ていたそうじゃない。しかもノックもしなかったとか」
「ぐう」
の音も出ません。
ほんの出来心で、ちょっと凹んでる神原の顔を見ようと思っただけだったのに。なんだってこんな目にあってるんでしょうか僕は。
「その上、部屋の片付けと言い張って入り込んだ神原の部屋で、無理やり何度も何度も彼女に屈辱を味合わせて悔し涙を流させたとか」
「待て待て待て待て! 何の話だそれはっ!?」
「忘れたのか、阿良々木先輩! あれだけの事をしておいて……しかも、これから一生私を出来ない体にしておいて……ひどいじゃないか!」
「酷いのはお前の言い方だ! 紛らわしい言い方をするな! 花札の話だろうそれは!」
神原め、よよよ、と泣き崩れる真似までしやがって。そんなキャラじゃないだろうお前は。
そりゃ神原の中での優先順位で僕より戦場ヶ原の方が高いのは、ヴァルハラコンビ的に当然の事かもしれないけれど。何だって今日はここまで戦場ヶ原寄りなのか。
「花札ですって?」
「いやそこでなんで眉が吊り上るんですかガハラさん!」
「阿良々木君が神原に花札を強要したと言う事は、つまりマニアックな変態行為をその都度科していったという事じゃない。これは万死では足りないわ」
「お前は自分の彼氏を一体何だと思っているんだ!」
「大丈夫だ、戦場ヶ原先輩! 変態行為ならいくらでも受けきってみせる!」
「お前は少し口を閉じて混ぜっ返すな!」
「羽川さんにおっぱい揉みと眼球舐めの二択を迫られて、眼球舐めを選んだって聞いてるわよ」
「わたくしめは戦場ヶ原様の犬です。ポチとお呼びくださいませ」
畳に額をこすりつけた。
だって、戦場ヶ原の顔が見られないもの。怖くて。
でも何でそれを話してしまうかな羽川! あれは僕とお前だけの秘密だと信じていたのに!
そもそも羽川のおっぱいを揉むチャンスはこれから先もあるかもしれないけど、眼球舐めをお願いするチャンスなんてまずないんだぜ? なら舐めたいと言うでしょう、男なら!
「すまん……阿良々木先輩。それは私もちょっと……受け切る自信が……」
神原にどん引かれた。
よりによって神原にどん引かれたなんて、何だか人間として決定的な敗北をしてしまったんじゃないのか僕は。
「阿良々木君。シャープペンシルと消しゴム、どちらが嫌かしら?」
「……どう使うのかお伺いしても宜しいでしょうか戦場ヶ原様」
「まずは自分の眼球を抉り取って舐めてもらおうかなって」
抉るの!?
シャーペンはともかく、消しゴムで抉るってどんな高難易度!?
「阿良々木君なら大丈夫よね。最近また少し不死身度上がってるみたいだし。きっと生えてくるわ」
「いやいやいやいや! きっととかそう言う仮定で感覚器を猟奇的に潰すのは勘弁してください! そもそも神原にそんな変態プレイは最初から強要していないしするつもりもない! 僕はガハラさん一筋だから!」
「あらそう。まあ、当然よね」
顔を上げれば残り一センチまで迫っているシャーペンと消しゴムの先端。その向こうでにっこりと戦場ヶ原が笑う。
ああもう、何から何まで危険極まる言動しかしないくせに、何だってこんなに可愛いかなこいつはっ!
「じゃあ、私と羽川さんの眼球、どっちを舐めたい?」
「舐めさせてくれるのか!」
「嫌よ。気持ち悪い。ありえないわ人としてそんな趣味」
今日本日この瞬間、阿良々木暦は人である事を否定されました。
ありえないとまで言われてしまった。おかしいなぁ、好きな子の眼球を舐めたくなるのは人として自然な感情だと思っていたのに。
「まあ、そんな人としての最低ランクに届かなくなった阿良々木君でも、私の恋人よ」
自分の恋人が人間未満だと断言する事に、疑問を感じないんですか。
感じないんだろうなぁ。戦場ヶ原だし。
「神原から話を聞いた時はショックでご飯も喉を通らなかったけど、せめて人間に片手を掛けさせる方法をずっと考えていたのよ」
「さようでございますか。その結果が万死ですか」
「それが一番楽なのよね」
真顔ですよ戦場ヶ原さんってば。
「でも、神原から助命嘆願を受けたのよ」
「よくやった神原!」
「当然だ。尊敬する阿良々木先輩を、一度の過ちで失ってしまう事など、私には耐えられないからな!」
僕に向けて、神原が勝利のVサインをしている。
やべえ、さすがスポーツ少女。そういうポーズが様になる!
「そういうわけだから阿良々木君。代わりの事をしてもらうわ」
そう言って立ち上がった戦場ヶ原が、箪笥の中からなにやら取り出して僕の目の前に並べてくる。
いや。
ちょっと待ってくれ、戦場ヶ原。
何やら猫耳のついたカチューシャと、エプロンと、注射器のお化けのような物が見えるのは気のせいですか?
「あの、ガハラさん……これ、は?」
「見れば分かるでしょう?」
分かりたくない!
分かってしまうけど分かりたくないよ!
「これから一週間、語尾に「にゅ」と付けてしゃべるのと、一週間裸エプロンで起こしにくるのと、一週間ノーパン登校と一週間浣腸ダイエットをするのを……」
「い、嫌な奴を選べって事ですかガハラさん?」
「全部やってもらうわ」
「選ばせてすらもらえない!?」
「大丈夫だ、阿良々木先輩! 先輩の勇姿を記録に残して楽しむ準備は万全だ!」
「堂々と脅迫宣言立ててるんじゃねえ、神原!」
何でお前はもう右手にデジタルカメラ構えてるんだよ!
準備良過ぎるだろ!
「馬鹿な、人に見せるなんてそんな勿体無い事出来るわけないじゃないか! どれか一つでも私の一月分のオカズには十分なのに!」
「もうお前はBL小説片手に自分の部屋に篭ってろよ!」
「それは日課だ、言われるまでもない!」
「日課なのかよ!」
「たとえ自主トレを忘れた日でも、自家発電を忘れる事はありえない!」
もうやだこのお猿さん。
左手がこんな事になってなくても変わらないんじゃないのかこいつ。
胸を張って変態振りを主張している、この直江津高校一の有名人の姿を皆に見せてやりたいよ! 具体的には変な幻想抱いてるうちの妹その一とか!
途方にくれる僕の目の前に突き出される、エプロンと注射器。
「さあ」
「いや、さあとか言われてもガハラさん!」
「嫌とか口にする事が、許されると思って? 阿良々木君にそんな上等な権利が与えられるのは、一万回死んだ後よ」
「結局一万回殺されるのかよ僕は!」
「トイレはあっち。風呂場はその隣。私の家を汚したりしたら、百万回殺してあげる」
「しかもいきなり最大難易度の方からなんですか!」
目の前には戦場ヶ原がいて、僕の後ろでは神原がカメラを構えている。
前門の蟹。後門の猿。おっかしいな、狼と虎より弱い筈なのに絶望しか見えてこないんですが今の状況。
僕に出来るたった一つの冴えたやり方は、これしか思い浮かばなかった。
「勘弁してください戦場ヶ原様」
再び、ぐりぐりと畳に額をすりつけた。
無理だし。男が裸エプロンとか猫耳とか、無理だし!
「嫌よ。勘弁なんてしてあげられるものですか」
果たして返ってきた答えは、予想通りでありました。
ぐりぐりと、背中に押し付けられてるのは多分戦場ヶ原のおみ足だろう。ああ、そしてその光景を興奮しながら見つめてるんだろうなぁ神原は!
「そこを何とか! 平に! 平に!」
「駄目ね。私の可愛い後輩の、お尻の穴の皺の数まで数えたような変態相手への罰ですもの」
「してねえよ! する奴いねえよそんな事!」
思わず跳ね起きて吼えてしまった。
尻の穴の皺の数とか、どんな変態マニアックさんだよ僕は! 見たのは背中からお尻のラインだけだよ!
「二十五本よ」
「したのかよ!」
「ああ、アレは忘れられない思い出だったよ、阿良々木先輩」
「顔を赤らめるな神原変態! 尻に手を回すな頼むから!」
「白魚のような戦場ヶ原先輩の指が、喜びに戦慄く私のお尻の肉を割り開いて……」
「小説風の解説なんかいらねえよ!」
「腹が立つ位パーフェクトだったわ。女として嫉妬を禁じえないわね」
「どこをどういう基準でどうやって比較をしたんですか!」
いい加減慣れたと思っていた。
千石にも言われた通り、そこそこ突っ込みの自信は持っているつもりだった。
でも気のせいだった。目の前のヴァルハラコンビさん、二倍四倍十六倍と言う感じで威力が跳ね上がっていくんだもん。僕一人じゃ追いつけねえよ。
ていうか、神原は一方通行だって言ってたけど、どう考えてもこの二人の間に百合の花が咲き乱れてる気がしてるんですが。彼氏であるところの僕としては、実は怒るべきポイントなんじゃなかろうか。
そんな僕の葛藤を知ってか知らずか、戦場ヶ原は僕の頬にぐりぐりとお化け注射器を押し付ける。
「あれも嫌だ、これも嫌だと。まったく阿良々木君は女々しい事この上ないわね。男なら自分が間違ってなくても甘んじてヘソからこれを突っ込む位の度量を見せたらどうなのかしら」
「冤罪で死刑判決下す気満々ですか、戦場ヶ原裁判長!」
「ホチキスで止めておけば大丈夫でしょう?」
「穴の開いた紙袋なのか、僕のお腹は!」
「しかし阿良々木先輩、裂傷の応急処置にホチキスと言うのは、実際に救急隊でも使われている手段なのだぞ?」
「知りたくなかった豆知識!」
「じゃあもう、心残りはないわね。さあ!」
「心残りしかねえよ! 何にも解決してないから! 他は何だって聞ける気がするけど、今まで上がった選択肢はどれもありえないから!」
一万回殺される。
シャーペンと消しゴムで抉られた目玉を自分でぺろぺろ舐める。
一週間、裸エプロンで戦場ヶ原を起こしに来た後、猫耳ノーパンで登校しつつ浣腸ダイエットをする。
どれもこれも斜め下に甲乙付けがたいありえなさである。モースト猟奇な真ん中が一番まっとうに見えるくらいありえない。
だから僕がそう叫んだのは、至極当然の反応だったと思うのだ。
しかしその瞬間、戦場ヶ原の目がきゅっと細められる。猫が死に掛けのネズミを見つけた、あの感じ。
「あらそう。他は何だって聞けるのね?」
「い、今までの選択肢だけはありえない!」
「なら、そうね」
腕組みをした戦場ヶ原は、呆れるほどに見入ってしまう艶かしい微笑を浮かべて、言った。
「明日一日、神原の下僕になりなさい」
「はあ?」」
「彼女の命令は絶対で、逆らう事は許されないわ。彼女を私だと思って、誠心誠意努めに励むのよ」
「僕が、神原の、言う事を、聞く?」
直江津高校の変態オブジイヤーを永年シードされている、神原の言う事を?
硬い動きで振り返ると、えへへ、と照れ笑いを浮かべている神原駿河。
「先輩にそう言う事をさせてしまうのは真に心苦しいのであるが、他ならぬ戦場ヶ原先輩の命令なのであれば仕方がない」
「……仕組んだろ」
つまりはあれである。
最初に無茶な要求をしておいて、相手に妥協を引き出して飲ませたい要求を通すアレ。僕に弱みがなければ成立しない作戦だけれど、残念ながら今回は、神原の裸を見てしまったというウィークポイントが存在している。て言うかそもそも僕が戦場ヶ原にアドバンテージを取るなんて芸当が無理無茶無策の三無い主義でありまして。
ああ、何であの時ノックしておかなかったかな僕はっ!
「自他共に受けの女王である事を認める私だが、明日は心を鬼にして、誠心誠意、先輩を攻めさせてもらう!」
「頑張りなさい、阿良々木君。それとも……」
右手に消しゴム、左手に注射器を握り締めて戦場ヶ原が微笑む。
「……よろしくお願いします」
そう言うわけで。
八月某日、僕、阿良々木暦は彼女の命令で一年下の変態の下僕となる運命を科せられたのだった。
【続く】
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