告解





「……」
見慣れたような、でも初めて見るような、そんな道をわたしは歩いていた。
「どこだろ、ここ」
 気がつくと、この場所にいた。どこまでも続く石畳の道。周囲には壁なんて全くない、とても整備された綺麗な道。でも、こんな穏やかな場所なのにまるで人気がないというのはどこか異常だ。
 強いて言うなら、遠野の屋敷の広大な庭の雰囲気に似ている。だけど、あそこは私有地だから当たり前。この道はどう見ても、大勢の人が歩くために整備された道である。放棄された道というわけでもないはず。だって、これだけ綺麗に掃き清められているんだから、毎日のように人が通っていないとおかしい。
 ――だからだろう。ここにいると、とても寂しく感じるのは。だからだろう。ここで初めて出会った人を見かけて、嬉しくなって近づいたのは。
「――」
 その人は、ベンチに座って本を読んでいた。男の人だった。男にしては長い金髪で、小さな丸いメガネをかけていた。それに加えて、彫りの深い顔立ちはその男がこの国の人間ではないと言うことを端的に示していた。
 整った顔の割に穏やかさが感じられた。それは、人なつっこそうな目が原因だったのかもしれない。
 だけど、あからさまに怪しかった。周囲には誰もいないのに、その男だけがただベンチに座っている。そもそも、この場所自体が有り得ない場所だった。聞いたこともない場所が存在するなんて事は、世界から情報を貰っているわたしにとって有り得ない。
 となれば、ここは本来存在しない場所だ。何らかの魔術が作用している可能性もなきにしもあらず。その場合、一番怪しいのはこの外国人の男である。
「……こんにちわ」
 まあ、何にせよ。この道に言いようのない寂しさを覚えていたわたしは、その男に思わず声を掛けてしまった。それは、この場所を消し去るのは何だかとても惜しいと思ったから。そして、目の前の男とは何故か絶対に話し合わなければならないと思ったからだった。
 わたしの声に反応した男は、特に妙な動作も見せずに顔を上げた。
「……こんにちわ」
 そして、何か用でしょうか、ととても礼儀正しく尋ねてきた。ここまでは普通の対応である。変わったことと言えば、彼が日本語で話しかけてきたことか。まあ、ここは日本――のはず――なんだから別段おかしいことではない。
「いえ。ただ、何してるのかと思ってね」
 我ながら、随分と間抜けな質問だと思った。だって、そんな事は見るだけですぐに判ることだ。
 男は、やっぱりこちらを見たままを言った。ただ、読書をしているだけだと、穏やかに。
 ならばと、次は面白いかどうかを訊いた。すると男は、やっぱり穏やかな顔で言い切った。面白いことなどありません、と。
 まあ、それはそうだろうと思わず納得してしまった。いや、どうして納得なんて出来るのか。この世に、面白くない事なんて無いというのに。
『だって、すごく楽しいんだもの』
 そういって笑ったのは、一体どこで、誰に対してだったのか。
『生きているっていうのが、ただそれだけで嬉しいなんて、今まで考えたこともなかったよ』
 そう、それは本心だった。全部が初めてのことだったから、何でもかんでも訳もわからず、だけどとっても楽しかった。だから、それに反論した。
 そんな事なんか無いはずだ。その本は面白いはずだと。
 それを聞いて、初めて男の顔に変化が生まれた。きょとん、とした顔は、どこかで見たような覚えがある。それは、一体どこでだったか。思い出せない。
 そんなわたしのことも知らず、彼は言い切った。
「いえいえ。面白くないというより飽きたとでもいいますか」
 随分と一つのことに固執していたけど、それも出来なくなってしまうと案外あっさりと諦めきれる物なんですね。そんな、この場所と同じくらい寂しいことを、とても嬉しそうに男は話す。
 どうして、そんな嬉しそうな顔をするの。そう問いかけた。そんな顔、この男には絶対に似合わないと思ったから。すると、男はこう答える。
「いえ。随分と長いこと探していた答えが見つかったものですから。ええ、本当に答えを知ってしまうととても簡単なことでして。自分が、思わず情けなくなってしまいましたよ」
 こんな事、どうして気付かなかったのか。男は、その時だけは一瞬だけ目を伏せた。
 そのまま、無言の時間が少しだけ流れた。せいぜい、心臓が五回ほど鼓動するだけの時間だったと思う。
 ――さっきまでのこの場所の寂しさが襲ってきた。正直、こんな空気は嫌いだ。だが、男は言葉を続けようとしない。おまけに、急に辛気くさい顔をする。だから、わたしはさらに言葉を続けた。
「答えが見つかったなら、それで良いじゃないの」
 男は、しばらく目を閉じてから。
「……それもそうですね」
 そんな事を言って、最初に会ったときのような穏やかな顔を取り戻した。
 続いて、その得た答えってのは何なのか聞こうと思ったけど。何だか、その顔を見ていると聞く気が失せてしまった。
 そして、ひとしきり男は自分を納得させるように深く頷いてから、そのまま立ち上がる。そうして、どこへともなく歩き出す。
 ベンチには、彼がさっきまで読んでた本が遺されている。
「ちょっと」
 本を忘れていることを指摘したが、男はもう読み終わったからと答えるだけだった。その歩みは止まらず、いつの間にか男の背中も見えなくなった。
 仕方なく、わたしは本に手を伸ばす。男がつまらないといった物が、どれだけつまらないかを確認するのも一興だと思ったからだ。
 そして、本に指先が触れたとき。既に立ち去ったと思った男の声が聞こえてきた。
「そうだ。貴方に、一つだけ伝えたかったことがあるんですよ。いや、とある若者を見て気付いたことで、わたしもこの年になってこの場所に還るまで全く気付かなかったのですが」
 それは、まるで悪戯を告白する少年のような声音だった。
「見つかった答えというのは――わたしは、貴方が好きだった、ということです」
 ちらりと声の方に目をやっても、やっぱり男の姿は見えなかった。まるで、男は元からどこにもいなかったかのように忽然と姿を消していた。
 そして、彼が遺した本も、風が吹いていないのに本のページがめくれ始めた。本は、その立派な表紙とは裏腹にきちんと糊付けがされていなかったのか、どんどんをページが零れ落ちていく。
 やがて全てのページがどこへともなく飛び去って、本は存在しなくなった。持ち主と同じく、やっぱりここには初めから存在していなかったとでも主張するかのように。
「……」
 そうして――ようやく、男の正体に思い至った。
 そうか。貴方も知らなかったんだ。そんな簡単なことを知らずにずっと生きてきたなんて、わたしも貴方も随分と間抜けな生き方をしたものね。
 美しいと感じた。おそらく、生まれて初めて。生涯でただ一度だけ。
 ――――ミハイル・ロア・バルダムヨォンは、その白い少女に恋をした――――
 だから、アイツはわたしをずっと敵対してきたのか。理由が判ってしまえば、長らく続いた敵対関係は随分と馬鹿らしいものだと判明した。
 なるほど、これは確かに彼が言ったようにつまらない。アイツは、理由も知らずに相争ったのか。そうして得た答えが、単なる愛の告白なんて間抜けにも程があると言うもの。
 でも、それがアイツらしいのかもしれない。
 初めて会った時に見えたその瞳は、まるで自分の映し鏡のように何も知らなかった。男のきょとんとした顔を、どこかで見たことがあると思ったけどそれも道理。それは、かつて見つめた瞳であり、その時は何も知らなかったわたし自身の顔でもあったのだ。
 そうして色々あって、流れた月日は数百年。それだけの時間が経った後に出会った妄想じみた邂逅。
 それが、わたしと男との最後の出会いだった。
 本当に、これまでの争いが嘘であったかのようにあっさりと。どこにでもある出会いと別れのように。
 ……まったく。さんざん人に迷惑を掛けておいて最後はあっさりと死ぬなんて。せいぜい、わたしと志貴がいちゃつくところを見て悔しがってから死ねばいいのに。
 そんな事を思いつつ、わたしはしんみりした気持ちになってその道から立ち去った。
 あとには、もう誰も座ることがないベンチが残るだけ。
 全ての元凶は、わたし自身に吸収されて文字通り跡形もなくなっていた。こうして、ロアと呼ばれた吸血鬼は拍子抜けするほど潔く、八百年ごしの死を迎えた。
「……」
 アイツは、アイツ自身の約束を守ったのだろう。だったら――わたしも約束を守りにいこう。
 うん―――! ぜんぶ終わったら、またここに来ようね志貴! なんの意味もないけど、それはきっと、きっとすごく楽しいよ――



 

戻る